どの子も学ぶをつくりたい

久しぶりに更新する!

やはり、昨年度と同じことを思っている。

よく発言したりする子を中心として

授業を進めていないかと思う。

 

もっと自己改革しないといけない。

つまり、

自分はどんなクラスにいたいのかということ

自分はどんな社会にしたいのかということ

それを

明確にして行動するということだ。

 

どの子も活躍できる場やチャンスがある

誰とでもつながることができる

学びや遊びが豊かである

また、公教育という視点からも、

どの子も存在と学びが保障されている

 

(どんな社会にしたいかはまだよく分からない)

 

とりあえず、クラスにおいては、

この子も本当に学んでいるか?

 これをキーワードにしていきたい!

 

そのための手立てとして

•活躍の場や機会を意図的に増やす

•授業の課題づくりを大切にし、

 振り返りを書く時間をとり

 一人ひとりの学習状況を把握する

•一人ひとりのいいところをメモして伝えていく

•自分たちでやる活動を増やしていく

 ただし、目は離さない

•視点と考え方を使って、深い理解に導く

 

まだまだ手立てはあると思うけれど

やってみよう。

 

この子の顔と頭と体と将来のために

 

 

 

 

 

どの子も大切とは?

一人ひとりを

大切にした教育をしたかった!

学期末になるといつも思う

 

学期の始めや中頃は

特に思わない。

きっとよく前に出てくる子に

注目したり、取り上げたりしている

自分がいるのだろう

 

どの子も大切というが、意識だけでなく

システムや行動を変えないといけないのかもしれない。

 

学び合いは、

その1つの戦略かもしれない。

 

ノー残業について考えたこと

最近、電通の事件からか

働き方改革とか

残業を減らす動きなどが

加速している

とても素晴らしいと思う!

 

 

長く働くことが偉いとされている職場の

早く帰りたいなーと思っている人にとっては

嬉しい限りだと思う 大賛成だ!

 

しかし、早く帰ることが今度は

よいこと!となるのもまた違うと思う

 

早く帰ることは

とても素晴らしいことではあるが

その生まれた時間をどのように過ごすのかが

あまり話題となっていないことが気になる

 

その時間に、

仕事にプラスになることをするのか?

妻や子どもと過ごすのか?

読書や映画を観るのか?

テレビをぼっと見るのか?

など

豊かにその時間を、

人間らしい時間を

どのようにつくるのか?

それが本当に正しい時間の使い方なのか?

自分の大切にしたいことなのかなど

考えたり話したりする必要があるべきだ

 

そのなかで生まれた

一人ひとりの信念の先に、

早く帰ろう

否、早く帰るといいことあるよ運動が

あるのではないだろうか?

 

でないと、

一過性のブームに過ぎないものに

ノー残業がなると思う

 

理由が不明確だから

 

ノー残業を

ブームにしたくない!

 

人の生き方を豊かにするきっかけ

そして

人の信念を成長もしくは確認するような

ものにしたい!

 

 

 

 

研究授業してみて思ったこと


校内研修だが
算数の研究授業をやった。

色々準備段階で長時間
学年で話してすごく勉強になったし
教材や指導観、子どもの支援への
理解が少し高まったと思う。

でも、なんだろうこの
不完全感?
すごく準備したし、何度も模擬授業したし
授業もスムーズに流れたし、
無事終わった

今の自分なりにベストを尽くしたし
子どもたちもすごい頑張ったけど

なんかいいのかわるいのかも結局
よく分からない。
なんだったんだあの協議会は?目的は?
司会者の独壇場だったー


もっと自分が発揮される実践をしたいし
それの建設的な評価をもらいたい
子どもたちには
もっと生き生きと学んでほしい
楽しくいてほしい

また、
小手先ではない、
理論をベースとして、実践したいし
何より楽しくやりたい

とは言うけど、
校内の研究で学年としてやるものだから
こんな感じでいいのかなとも
今思った 政治的にも

学びを何よりも楽しみ、
ゆるやかに人とふれあいたいなと
思った!
そんな感じで
これからも
教育活動していきたいなー

あまいかな?










社会科授業づくり研究会


茗荷谷の筑付小の
社会科授業づくり研究会に
参加した。

今回で2回目だ。
2人の先生に共通していたのが
人を学ぶということだ。

人の悩みに寄り添う
だから、マッチョな人ではなく
悩み立ち止まったそして歩んだ人を扱う。

となりの先生が
人を学ぶことで
自分の生き方を問い直すこと
ができると言っていたのに共感した。
自分の生き方へ転移するということか?

社会のなかに生きる人間の悩みを扱うことで
たとえ、
自分とは掛け離れた事象
であっても自分ごととして
捉えられるのでは
ないだろうか?

すごい偉人を紹介するのは、
なかなか生き方のヒントは得られない
へぇすごいで、知識として蓄えられる。
しかし、
その人が思い悩んだことを知り
それを
自分ならどう考えるかと問われれば
思わず考えてしまう。思わず話したくなる。
そこで考えたことは、
やがて
自分の社会生活の中で考えるだろう。
今度は、決めないといけないだろう。

社会で生きるとは?
公民的資質とは?
人とは?
を考えたくなった貴重な時間だった

社会で生きるとは、
自分で考え、他の人と協力しながら
行動していく繰り返しなのでは
ないかと思う

公民的資質とは、
考え続け、表現し続け
ともに楽しく生きることだと思う
その楽しさには、様々な種類の楽しさがある。

人とは、
よくわからないものだと思う
Aな人はいない。
Aの基準は変わるし
見方は無限だから。
しかし、みな何かしら考えこだわり
歩み続けているはず?

遅刻して最初から
参加できなかったが
とても楽しい2時間だった。





社会科初志の会&対話の会


初めて1泊2日の学びに
湯河原へ参加した。

行くのにやっぱりやめようかと
何度も思ったでも
行ってほんとにほんとに良かった!

やはり、行ってみるというのは
大事だなと思った。
とにかくやってみる!

部屋へ行ったら
もちろん知らない人だったが
3人とも偉大な大先輩だった
マジかーーと思った

ほんとによく話した!
みなさんそれぞれ実践となにより
理論を持っていた。

そして、また情熱と
学び続ける姿勢がそこにはあった。

こんな大人になりたい!

協議会でも
関東から沢山の先生がいたが発言できた。
かなり的はずれだと思うけど。

そして、提案した先生の情熱と迷いそして、
pdcaのcとaの大切さが授業作りだけでなく
子ども理解や支援にも
当てはまることが分かった。

また、社会科の鎌田先生から
問題が生まれれば
ほぼ問題解決は終了してると教えていただいたのは、なるほどと思った。
もちろん、ほんとに子どもの問題になっていないといけないというのは当たり前だし、調べ方の学習を積んでおくのは前提だが。

ほんとに学び多い休みだった!

名古屋に行ったのも
最高だったな!

楽しい休みだったなー!



なんで教師になったの?


久しぶりに
人生の師匠とお話しさせていただいた。

そのとき
どうして教師になったの?
て聞かれた。

すぐさま
学びが好きなんですよね
だから、教師になったんだと思います
と答えた。

後で、振り返ったときに
それっていいのかなと思った

でも
自分らしくていいなとも思った

自分らしく
学び続けたいなーと思った。

自分は
学び続けたい
変わり続けたい

子どもたちと
自分らしく
学び変わり続けたいと思った。

正しいかは
わからないけどね